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神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)1988号 判決 1992年12月14日

原告

甲一郎

右訴訟代理人弁護士

原田紀敏

高木甫

分銅一臣

松下宣且

森川憲二

多田徹

被告

右代表者法務大臣

田原隆

被告

兵庫県

右代表者知事

貝原俊民

被告ら指定代理人

杉浦三智夫

外二名

被告兵庫県指定代理人

百元昭史

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告国は、原告に対し、昭和六一年一一月五日に兵庫県尼崎北警察署長が採取して同被告が保管する原告の指紋が印象された指紋原紙を引き渡せ。

3  被告県は、原告に対し、同日同警察署長が採取して同被告が保管する原告の指紋が印象された指紋票及び原告の掌紋が印象された書類を引き渡せ。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、一九五一年(昭和二六年)七月二三日に島根県で出生した在日朝鮮人である。

2  原告の逮捕、指紋採取に至る経緯及びその状況

(一) 指紋押捺拒否

原告は、昭和六〇年三月六日、尼崎市役所において外国人登録証明書の紛失による再交付申請手続をした際、同市役所職員から外国人登録法〔昭和六二年法律一〇二号(外国人登録法の一部を改正する法律)による改正前のもの。以下、単に「外登法」という。〕一四条に定める指紋押捺を求められたが、自己の良心及び信条に基づきこれを拒否した(以下「本件指紋押捺拒否」という。)。

(二) 捜査の状況

(1) 尼崎北警察署長浜田邦博(以下「浜田署長」という。)は、本件指紋押捺拒否の事実について外登法違反被疑事件として捜査を開始し、昭和六一年七月頃までに尼崎市長に対し、捜査関係事項の照会をし、原告の外国人登録原票の写し等の原告の指紋押捺拒否の事実を証明するにつき必要、十分な資料を入手した。

(2) 尼崎北警察署長辰巳光(以下「辰巳署長」という。)は、その後原告に対し、次のように前後五回にわたって、文書によって、外登法違反被疑事件の事情聴取と称して出頭要請をした。

出頭要請日 出頭指定日

第一回 昭和六一年七月一八日

同月二三日

第二回 同月二五日

同月二九日

第三回 同年八月一日

同月七日

第四回 同月二九日

同年九月二日

第五回 同年一〇月八日

同月一三日

(三) 出頭要請に対する原告の対応

(1) 原告は、任意出頭要請の文書を持参した尼崎北警察署(以下「北署」という。)の警備課外事係所属の景行新太郎警部補(以下「景行警部補」という。)に対し、口頭で「自分は外登法に定める指紋押捺を拒否した。」旨陳述するとともに、「自分は取調べを拒否しているのではない。自分が経営する喫茶店どるめんで弁護士立ち会いのもとでなら取調べに応じる。」旨回答し、かつ、右趣旨を記載した内容証明郵便を以下のように三回にわたって北署長宛に送付した。

差出日      到着日

第一回 昭和六一年七月二六日

同月二八日

第二回 同年八月四日

同月五日

第三回 同年一〇月九日

同月一一日

(2) これに対し、北署長は、「警察署で取り調べなければ捜査目的が達成されない。」として、原告の右申し出を受け入れなかった。

(四) 原告の逮捕

北署司法警察員奥田典宏警部(以下「奥田警部」という。)は、同年一一月四日に、尼崎簡易裁判所裁判官に対し、本件指紋押捺拒否につき外登法違反の被疑事実により逮捕状の発布を請求したところ、同裁判所裁判官中原貞夫(以下「中原裁判官」という。)は、右同日、原告に対する逮捕状を発布した。そして、原告は、同月五日午前七時五五分頃、景行警部補らにより右逮捕状に基づいて逮捕され(以下「本件逮捕」という。)、原告名義の外国人登録証明書も差し押さえられた。その後原告は、北署に引致され、同署の取調室で同警部補らの取調べを受けた。原告は、右取調べに対し、住所、氏名、生年月日、指紋押捺拒否の事実は認めたが、その余の事実については黙秘し、供述調書への署名・押印も拒否した。

(五) 指紋の強制採取

(1) 原告は、その後、弁護人との接見を経た後、景行警部補らによって鑑識用の部屋と思われる別室に連行され、同所において警察官により写真撮影や身長、足の寸法の測定等の身体検査を受けた。

(2) その後同所において右警察官が指紋採取をしようとしたので、原告は、立ったままの姿勢で体を堅くして拒否の態度を示した。すると、景行警部補外八、九名の警察官が原告の前後左右を取り囲むようにし、その内一人が後ろから両手で原告の胴体を強く抱えるようにして締め付け、外四名の警察官が左右から原告の両手首、両肩部分を押さえ付ける等して、原告の行動の自由を完全に制圧した。そして、右の状態で数名の警察官が原告の腕に金属製の指紋採取補助具(以下「本件器具」という。)を添え木をあてるようにあて、マジックテープで腕を固定し腕の自由を完全に奪ったうえ、固く握りしめていた原告の指を一指づつ無理矢理引き起こしてマジックテープで本件器具に固定し、指の自由をも完全に奪うという方法で原告から順次右左両手の一〇指指紋及び右左両手の掌紋を違法に強制採取した(以下「本件指紋採取」といい、(1)の身体検査と併せて「本件身体検査」という。)。

(3) その結果、原告の指紋が印象された指紋原紙、指紋票、一指指紋票等の書類及び原告の掌紋が印象された書類が作成され、被告国が指紋原紙を、被告県が右指紋票、一指指紋票及び原告の掌紋が印象された書類等を占有保管している。

(4) 右違法な本件逮捕及び本件身体検査は、いずれも辰巳署長の指揮の下になされたものである。

3  本件逮捕及び本件身体検査の違法性

(一) 本件逮捕の違法性

(1) 本件逮捕の理由の欠如について

① 憲法一三条違反

憲法一三条は個人の人格権、プライバシー権を保障しているところ、指紋は万人不同、終生不変という性質を有し、単に人を識別する手段にとどまらず、最も高度な秘密に属する個人情報を構成し、指紋をコンピューター等によって集中管理することにより、多大の個人情報を的確に管理することが可能になる。この指紋の情報としての重要性に鑑みれば、指紋押捺を強制されない自由は、何人もみだりにその意思に反して指紋を明らかにすることを求められない権利として、人格権、プライバシー権の一類型に属し、精神的自由権あるいはこれに準じるものとして憲法一三条の保障を受ける。そして、憲法第三章に定められた基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると考えられるものを除き、在留外国人にも均しく及ぶものであるから、指紋押捺を強制されない権利も、その人格権、プライバシー権としての性質からみて外国人に対しても均しく保障されていると考えるべきである。

しかしながら、外登法一四条、一八条一項八号、二項は、我が国に一年以上在留する一六歳以上の外国人に対し、刑罰をもって指紋押捺を強制している。他方、日本国籍を有している者に対しては、このような指紋押捺を強制するような制度は設けられておらず、犯罪捜査以外の場面では指紋押捺を強制されることはないのであるから、指紋押捺を強制される外国人にとっては、外登法の定めによって強制される指紋押捺は法違反や犯罪と結び付き、これを強いられる者に拭い難い屈辱感、不快感を抱かせるものである。特に、在日朝鮮人は、日本国による植民地支配の歴史を背景にもち、現在でもさまざまな場面で差別を受けているのであり、指紋押捺の強制により在日朝鮮人が受ける差別感、嫌悪感、屈辱感、不快感は堪え難い程強いものである。したがって、指紋押捺を強制されることは、犯罪人と同一視されることから来る屈辱感、不快感とは到底比較できない程強い屈辱感、不快感を在日朝鮮人に与えるものであり、その意味で指紋押捺の強制は、個人の尊厳を著しく毀損するものといえ、憲法一三条に違反するものというべきである。

② 憲法一四条違反

憲法一四条は法の下の平等を宣言し、一切の合理性のない差別を禁止しており、この保障は日本国民のみならず、外国人に対しても均しく及ぶものである。

ところで、日本国民を対象とした住民指紋登録制度導入の試みは結局プライバシー保護の観点から法制度化されるに至っておらず、結局において、指紋押捺は外国人のみに強制されるものであるから、日本国籍を有するものと在日外国人を平等に取り扱っていないものであることは明らかである。

特に、指紋押捺制度制定の経過、制定当時の事情をみれば、その制定目的は、日本に定住していた在日朝鮮人を管理することにあったものであり、定住外国人である在日朝鮮人の生活実態、日本社会への密着性からみて指紋押捺制度は、在日朝鮮人に対する偏見に基づいた合理性のない差別制度である。

③ 憲法三一条違反

憲法三一条は刑事手続における適正手続を保障し、刑罰権行使に際して人権保障を実効性のあるものにしている。同条により、処罰規定については制定の必要性と合理的根拠が要求されるとともに、罪刑の均衡も要請されている。

ところで、指紋押捺制度においては、不押捺の場合、指紋押捺を拒否した者に対して、一年以下の懲役もしくは禁錮又は二〇万円以下の罰金を科し(外登法一八条一項八号)、あるいは懲役又は禁錮及び罰金の併科(同条二項)という刑罰を科すことになっている。日本国民の場合、同じく身分関係や居住関係の明確化に係わる戸籍法、住民基本台帳法の各種義務違反に対する裁判が過料という単なる行政罰であるのと対比した場合、本質的に罪刑の不均衡が顕著であるといわなければならない。

したがって、日本国民の場合に比べて過度に不均衡な刑罰を在日外国人の身分関係、居住関係に係わる各種届出義務違反行為に対して科しているという点において、又よりゆるやかな制限的でない代替手段をとるべきであるのに、これをとらず厳格な人権規制を行いこれを処罰する制度をもうけているという点において、少なくとも指紋押捺の拒否に対する刑事処罰規定(外登法一八条一項八号、二項)は、憲法三一条に違反する違憲無効な規定である。

④ 市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約七号、以下「B規約」という。)違反

日本国が昭和五四年八月四日に批准し、同年九月二一日に発効したB規約は、その二条一項、二六条において内外人平等原則を規定している。それにもかかわらず、指紋押捺を在留外国人にのみ強制する外登法一八条、一四条は右の内外人平等原則に明らかに違反している。

又、B規約七条は、品位を傷つける取扱いを禁止している。前述のとおり、指紋押捺が日本国民には強制されず、在日朝鮮人をはじめとする外国人に対してのみ強制されるということは、強制される者の民族的誇りを著しく傷つけ、不快感、屈辱感を一層強く堪え難いものにしており、まさに品位を傷つける取扱いとして同条に違反するものといわなければならない。

⑤ 立法の経緯、運用の実態等

イ(イ) 外登法は、昭和二七年四月二八日サンフランシスコ講和条約の発効と同時に公布・施行され、在日外国人、就中、在日朝鮮人に対する治安立法として猛威を発揮してきたものであるが、指紋押捺は、外登法を支える主要な制度としてその施行と同時に導入されたものである。

(ロ) ところで、法務省は、指紋押捺制度の立法理由について、この制度の違憲性・不合理性が裁判所で鋭く追及されるようになった現時点においては、「登録申請人の同一人性確認」等の技術的な説明に終始しているものの、制定当初は、治安目的から制度の必要性・合理性を強調していた。

しかし、外登法の目的が「外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめる」(同法一条)ことにある以上、治安目的による制度の合理化は明らかに外登法の制度目的を逸脱して許されない。

そこで、近年になって法務省は、表向きには「登録申請人の同一人性確認」という行政目的を主張するが、指紋押捺制度が導入されて以来の運用実態をみれば、法務省や市区町村の外国人登録業務において、指紋が右行政目的に殆ど機能していないことが明らかとなっており、右行政目的に照らすと同制度はすでに形骸化している。

(ハ) 結局、日本政府が未だ指紋押捺制度に固執しこれを残置しようとする真の意図は、これが持っている象徴的意味あいにある。

つまり、指紋押捺は、法違反や犯罪と結び付き、これを強いられる者に拭い難い屈辱感、不快感を抱かしめる。

そこで、日本政府は、指紋が果たす右のような客観的機能に着目し、在日朝鮮人にこれを繰り返し執拗に求めることによって、日本国家への人格的隷属を強いているのである。このことが、合理的理由が存しないにもかかわらず、指紋押捺制度を今日まで惰性的に残置させている主要な原因である。

(ニ) このように、外登法の定める指紋押捺制度は、同一人性確認のための不可欠の制度でもなく、唯一の合理性を有する制度でもないということが廃止確定の歴史的事実によって明白となった。

ロ また、指紋押捺制度は、次のとおり、その制度自体についても何ら合理性を有しない在日朝鮮人の支配管理のための制度であった。

(イ) 第一に、外登法によれば、指紋押捺義務は新規登録その他所定の申請を行う場合に発生するが、現実に指紋を押捺する時期は、各申請手続において交付される外国人登録証明書の「受領の時」である(同法一四条五項)ところ、指紋押捺制度が指紋による同一人性の確認により、二重登録、不正登録を防止するために必要であるというのであれば、指紋照合による同一人性の確認の前提である指紋の押捺は、外国人登録証明書の交付以前の段階においてなされるべきであり、現実の指紋押捺制度と同一人性確認の要請という法の目的との間には、法内在的に大きな乖離が存在するといわなければならない。

(ロ) 第二に、指紋押捺制度は行政実務の運用においても確実に形骸化しており、その実態は指紋押捺制度に合理的必要性がないことを証明している。すなわち、外国人事務取扱要領によれば、法務省は各自治体の外登法事務担当者に対して、写真と登録事項の照合によって同一人性を確認するよう指示し、指紋照合によって同一人性の確認をすべきことを指示していない。現実の自治体の取扱もそのように運用されている。

(ハ) 第三に、法務省の指紋押捺制度の運用実態においても、昭和四五年以降は、指紋の個性に応じて番号を振り分ける等の換値分類作業が廃止され、昭和四九年以降、同五七年まで、新規登録の場合を除いて指紋原紙への指紋押捺は省略されるなど、指紋押捺制度は同一人性確認の手段としては全く機能しておらず、この制度が同一人性確認の手段としての実質をもたないことを法務省自身、認識しているといわなければならない。

(ニ) 第四に、法務省は、外国人登録証明書にも指紋を押捺させることにより、外国人登録証明書に表示された外国人と右登録証明書の所持人との同一性を確認する必要性がある旨主張するが、その場で外国人登録証明書の所持人に新たに指紋押捺を強制し得る法的根拠はなく、その指紋と外国人登録証明書の指紋の照合を肉眼で行うことは、技術的にも不可能である。

(ホ) 第五に、市町村の窓口においても、法務省においても、指紋照合による偽造・変造防止の確認作業は現実に行われておらず、指紋押捺制度は不正登録の防止手段としての合理的必要性を有しているとはいえない。

(ヘ) 第六に、以上のように指紋押捺制度に合理的立法事実が存在しないということから、指紋押捺一回制の導入という部分的な法改正を経て今日では、平成五年一月までの廃止確定という事態を招来している。

ハ 原告は、昭和二六年島根県で出生し、昭和五六年から住居地付近で「がらくた茶房どるめん」(以下単に「どるめん」という。)を開業している。

こうした原告の生活史をみても、その社会的定着性と経済的安定性において何ら日本人と変わるところはなく、身分事項は日本人と同様明確であるし、その居住関係、身分関係についても何ら不明確な点はなく、登録された人物と同一人であるか否かの確認の方法は、住所、氏名、生年月日、写真等他にいくらでも考えられる。

ニ したがって、こうした原告に対して指紋の押捺を強制することは、法の適用において誤りがあり、その限りにおいて憲法一三条、同一四条、同三一条に違反する。

⑥ したがって、外登法の定める指紋押捺制度は、憲法一三条、一四条、三一条に違反する違憲無効な制度であるとともに、B規約二条、七条、二六条にも違反する無効な制度であり、あるいは、原告に適用される限りにおいて、憲法一三条、一四条、三一条に違反するから、本件指紋押捺拒否は何ら犯罪を構成しない。よって、本件逮捕については、逮捕の理由がなかったというべきである。

(2) 本件逮捕の必要性の欠如

① 指紋押捺制度は、前記のように人権侵害の程度が著しく、違憲の疑いが極めて濃厚である。そもそも、指紋不押捺罪は保護法益侵害の抽象的危険の発生を構成要件上必要としない所謂形式犯であり、一定の行政目的を達成するために義務違反行為に対して刑事罰を借用している行政犯に過ぎず、罪質としては極めて軽微なものである。まして、採取された指紋が行政目的のために現実に利用されているのならともかく、運用実態から見ても右制度はすでに形骸化している。実際、原告が指紋押捺を拒否したことにより、原告の同一人性の確認が困難になったような事情は一切存在しない。そうすると、原告の指紋不押捺があったからといって、単に指紋を押捺しなかったという形式的な義務違反の事実が存するのみで、何ら法益侵害の事実は発生していないといわざるをえない。

結局、本件のように、指紋押捺制度自体が立法目的に照らしすでに必要性や合理性を喪失し、刑罰法規も又、不必要不合理となっている場合には、仮に、形式的に義務違反行為があった場合でも、逮捕等の強制捜査権の発動は最も謙抑的に行われるべきであり、逮捕の必要性の判断にあたっても罪証隠滅や逃亡のおそれのないことにつき強く推定が働いているとみるべきである。

② 指紋不押捺罪は、指紋押捺を拒否したという極めて単純な行為であり、右事実については、北署長が尼崎市役所及び法務省入国管理局に捜査照会して入手した原告の登録原票の謄本、指紋原紙、尼崎市役所の外国人登録係の担当職員その外の者からの参考人供述調書等によってすでに明白になっており、客観的に隠滅すべき証拠は原告の外国人登録証明書以外に存在しないが、右証明書にも指紋が押捺されていないことは、右供述調書等によってすでに明らかになっており、被疑事実の立証のために改めて原告を取り調べる必要性は存在しない。又、原告は警察に送付した内容証明郵便等によって指紋不押捺の事実を認め、不押捺の理由も自己の良心及び法的確信によるものであると表明しているのであるから、主観的にも罪証隠滅のおそれは存在しない。

③ 原告は、住所地で妻子と家庭生活を営み、昭和五六年二月以降肩書住所地の近くでどるめんを経営しており、又、原告の妻も保母として保育園に勤務していたのであり、その社会的な定着性及び経済的な安定性は極めて高く、北署長の出頭要請に対して、「取調べを拒否するものではない。自分が経営する茶房で弁護士立会のもとであれば、取調べに応ずる。」として、北署への出頭はしないが、他の場所における任意取調べには応じる旨言明しており、自らが指紋押捺を拒否したことを隠そうともしていなかったのである。又、指紋不押捺の罪には法定刑として懲役刑等の自由刑も設けられているが、最近の裁判例では、画一的に数万円の罰金刑が言い渡されているに過ぎず、現に、原告についても三万円の罰金刑が確定している。

背後関係についても、本件については共犯者は存在せず、又、当時逃亡を支援するがごとき支援グループも存在しておらず、原告本人も逃亡しようという意図を全く有していなかったものである。

右のような、原告の生活環境、不押捺の動機、北署長に対する態度等諸般の事情を総合的に考慮すれば、原告が罰金刑を受けるのをおそれて逃亡するなどということは考えられず、逃亡のおそれもない。

④ 結局、本件は原告を任意で取り調べること自体が不必要な事例であり、仮に、任意の取調べの必要性が否定しえないとしても、原告が提示した条件の下でもその目的を達することは可能であり、原告の不出頭には正当な理由があったというべきである。

よって、本件では、原告の不出頭を罪証隠滅ないし逃亡のおそれの徴表として、逮捕の必要性を形式的にでも推認することは絶対に許されないところである。本件逮捕の真の目的は、逃亡や罪証隠滅をおそれたからではなく、逮捕手続を利用して原告を取り調べるだけでなく、指紋採取等の身体検査までも実施しようと企図したところにある。

⑤ 以上のように、原告に罪証隠滅や逃亡のおそれのないことは明白であり、原告に対する本件逮捕についてはその必要性が認められないというべきである。

(3) 法は、逮捕状発布の要件として、逮捕の理由と必要性を要求しているところ、以上のとおり、本件逮捕については、逮捕の理由も必要性も認められないのであるから、原告に対する逮捕状の発布及びその執行は違法である。

(二) 本件身体検査の違法性

(1) 刑事訴訟法二一八条二項は、身体拘束中の被疑者について、令状によらずに身体検査をすることを認めているが、これは、適法な逮捕がなされていることが前提となっている。したがって、前記のとおり、原告の逮捕が違法である以上、身体検査としてなされた本件指紋採取も違法である。

(2) 仮に、本件逮捕が適法であるとしても、原告に対する本件身体検査(写真撮影、身長・足の寸法の測定、指紋採取)は明らかに法が許容する範囲を著しく逸脱しており、本件身体検査は違法である。

すなわち、法が身体検査を認める法意は、逮捕の基礎となった被疑事実の捜査の必要性にあると解されているところ、本件被疑事実の捜査のために本件身体検査は全く不必要であったといわなければならない。

① 被疑者の身元確認

指紋不押捺罪の証拠収集のために本件身体検査が不必要であることは勿論であるが、原告の特定についても、すでに北署の警察官が何度も原告本人と面談して、原告の身上、経歴、その身体的特徴等、原告の身元を確認するうえで必要な資料は収集しており、その上押収した原告の外国人登録証明書には本人確認のための写真も貼付されているのであるから、本件では、原告の特定については何らの疑念もなかった。それにもかかわらず、辰巳署長は北署の警察官を指揮して、不必要な写真撮影、指紋採取等の身体検査を強行したものであり、とりわけ指紋採取の強制は、数名の警察官が原告の行動の自由を完全に奪ったうえ、強制具である本件器具を使って、腕と指の自由をも奪ってなされたものであり、明らかに法の許容する範囲を逸脱した違法な強制力の行使というべきである。

② 前科・前歴等の捜査

現在では、被疑者の住所、氏名、本籍地等被疑者を特定しうる事項が判明すれば、前科・前歴の照会は可能であり、特に、事件が軽微である場合には、前科・前歴の捜査のために強制的に指紋を採取して、プライバシー権、私生活の自由を侵害するということは、事件の軽微性に鑑みて均衡を失するものというべきであり、また、このような軽微な事件の場合には、前科・前歴が量刑に与える影響は極めて限られたものになるのであって、前科・前歴の捜査を目的とした指紋採取の必要性は極めて乏しい。したがって、刑事訴訟法一九九条一項但書に定める軽微事件やこれに準じる実質的軽微事件の場合には、前科・前歴を疑うべき特別事情があり、氏名・住所等による通常の照会の方法ではその前科・前歴が判明しないと判断される場合を除いては、犯歴捜査のための強制的な指紋採取は捜査比例の原則から違法というべきである。

本件の場合、被疑者はこれまで前科・前歴は全くなく、原告の住所氏名はすでに捜査機関に判明していたのであり、通常の方法で犯歴照会がなされ、原告に前科・前歴のないことは逮捕時に判明していたのであり、さらに、指紋押捺拒否に対する裁判においては、全て低額の罰金が科されているにすぎず、本件は実質的には軽微なものであることは疑いがなく、したがって、本件指紋採取が前科・前歴捜査目的でなされたものとは考えられず、仮に、前科・前歴捜査目的でなされたものであるとしても、それは、実質的軽微事件について特に前科・前歴を疑うべき特別の事情もないのになされたものであるから、違法というべきである。

③ みせしめ

強制具まで使用して原告の指紋を強制採取したのは、外登法による指紋押捺を拒否した原告に対する報復的制裁を意図したためであることが明らかであり、その違法性は顕著である。

(3) 有形力行使の必要性、相当性

① 刑事訴訟法二一八条二項に基づく指紋採取には、同法二二二条一項により同法一三九条が準用され、間接強制で効果がないと認められるときに直接強制が許される。しかし、そのための手段・方法は個々具体的に必要性に見合った相当、かつ合理的なものでなければならない。ところが、本件では、指紋採取は本件被疑事実の捜査のために必要性が全く認められないことは明白である。そこで、採取の方法としては、警察官がその必要性を説明し、原告の任意の協力を促す説得行為に止められるべきであり、有形力を行使して直接強制にまで及び指紋採取をすることは許されないといわなければならない。

② 仮に、有形力の行使が許されるとしても、その方法、程度は必要最小限度に止められるべきであり、それが相当性を逸脱する場合には違法になる。その有形力の行使が相当であるか否かの判断は、刑事事件としての事案の軽重、指紋採取の目的ないし必要性の存否及びその程度、指紋採取が原告に与える精神的、肉体的苦痛等の不利益、有形力行使の方法、程度等を総合的に考慮して決すべきである。

そこで、本件について右の点につき検討するに、本件被疑事実は、所謂形式犯であり、行政犯に過ぎず、罪質としては極めて軽微な事案である。その上、運用実態からは制度がすでに形骸化している。原告に対する宣告刑も他の同種事案と同様罰金三万円という低額なものに過ぎない。さらに、指紋押捺制度については、原告が拒否した以前より、内外からその人権侵害性、民族差別性が指摘され、その廃止が強く訴えられて、法改正の必要性が説かれていたのであって本件被疑事件は極めて軽微なものというべきである。又、指紋を強制採取する捜査上の正当目的ないし必要性は存在せず、たとえそれがあるとしても、極めて一般的抽象的なもので、具体的必要性というものではない。

一方、本件指紋採取によって、原告の被った精神的・肉体的苦痛は著しいものがある。すなわち、被告県の警察官は事前に本件器具を準備し、有無をいわせず原告の行動の自由を完全に奪い高度な有形力を行使して原告の指紋・掌紋を奪ったものであり、その受けた屈辱、不快感、精神的苦痛は測り知れないものがある。又、両手を固く握りしめるという消極的抵抗を試みているに過ぎない原告に対し、五、六名の警察官が、原告の左右及び後部よりその両腕、両手首付近や胴体を強く押さえ付けその行動の自由を完全に奪った状態下で、本件器具を装着して、開かれまいとして固く拳を握りしめた原告の指を一本づつこじ開け、指の自由を奪い指紋・掌紋を奪ったものであって、まさに、憲法三八条が禁止する拷問に該当する違法な強制力の行使というべきであり、さらに、強制具である本件器具を使用するということは、骨折、傷害等の危険を常に伴うものであり人権侵害性の強度なものである。

以上のとおり、本件指紋採取は、事案が軽微で指紋採取の正当目的ないし必要性もなく、一方、原告に加えられた精神的・肉体的苦痛等の不利益は甚大であり有形力行使の方法、程度も危険性、人権侵害性の強度なものであるから、必要最小限度のものとはいえず、相当性を著しく逸脱したものである。

(4) 本件指紋採取は、仮にその目的が正当であり、有形力行使に相当性が認められるとしても、刑事訴訟法の適正な手続を経ていないものであり違法である。

① 刑事訴訟法二一八条二項により、身体拘束中の被疑者について、無令状で指紋採取等の身体検査が許されるのは、身体の拘束に含まれる軽微な法益侵害に留まる限度であり、それを超過する身体の自由・安全に対する侵害を伴う方法などによる場合、例えば、傷害のおそれのある有形力の行使や本件のごとき強制具を用いる場合等は、別途、身体検査令状の請求をし、人権侵害の理由と必要性につき裁判所の慎重な判断を経なければならない。

本件の場合、少なくとも原告が拳を固く握りしめ、抵抗の意思を示したことにより、本件器具使用の必要性が生じた段階で、身体検査令状を請求し、これを示して執行すべきであった。

② 又、捜査機関としては、身体検査令状を得たうえで直接強制を行う前に、刑事訴訟法一三七条(同法二二二条一項)による間接強制の手続を経るべきか否かを検討し、間接強制で功を奏しないと認められる場合にはじめて直接強制を行うことができる(同法一三九条)のであって、これらの手続の選択に際し、あらかじめ検察官の意見をきき、かつ身体の検査を受ける者の異議の理由を知るために適当な努力をしなければならない(同法一四〇条)のである。

本件において、警察官は原告に対して、指紋採取の法的根拠の説明や説得らしきものは何一つしておらず、又、直接強制を行う前に、間接強制の手続も検察官に対する意見聴取の手続も行われておらず、原告が指紋採取を拒否する意思を事前に示していたとしても、そのことをもって、直ちに直接強制が許されるということにはならないのであって、間接強制の手続をとらなかったのは違法であり、又、検察官に対する意見聴取を怠ったのも違法である。

4  被告らの責任

(一) 被告県の責任

景行ら北署の警察官らは、原告の捜査にあたっていたのであるから、原告が捜査機関の任意取調べには応ずる意思を有していたこと、原告の動機、犯罪の軽微性、原告が処罰を免れる意思を有していないこと、原告の家族関係、生活の安定度、原告が支援組織を利用して逃亡するなどということはないこと、原告の犯罪事実立証のためには外国人登録証明書自体は必ずしも必要なく、原告には外国人登録証明書隠滅の意思など毛頭ないことも充分わかっており、情況証拠についても充分収集できていたから、これ以上この点について捜査するつもりはなかったはずである。それにもかかわらず、辰巳署長らは、ありもしない逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれという理由をつけて逮捕状を請求、執行し、原告を強制的に北署に出頭させたものである。

辰巳署長は、奥田警部、景行警部補らを指揮して、逮捕状請求時までに既に取得した捜査資料によって、原告について指紋不押捺罪の嫌疑で逮捕する理由も必要性もないことが明らかであるにもかかわらず、原告に対する逮捕状を請求させ、右警察官らも右の捜査資料によって、原告について指紋不押捺罪の嫌疑で逮捕する理由も必要性もないことが明らかであるにもかかわらず、右逮捕状に基づき原告を違法に逮捕したうえ、本件被疑事実の捜査の必要性がなく、本件指紋採取等の身体検査が法の許容するものでなく違法であることを知りながら、本件身体検査を強行したものである。

辰巳署長らは、以上のとおり、逮捕の理由も必要性も存在しないことを知りながら、又は、その点の法律的判断を誤って逮捕状を請求、執行したものであり、故意又は過失により違法な逮捕状の請求、執行を行ったことは明らかである。

又、辰巳署長らは、本件指紋採取を含む本件身体検査が違法なものであることを知り又は容易に知り得たのにこれを敢行したものである。

辰巳署長以下の北署の警察官らは、いずれも被告県の公権力の行使にあたる公務員であり、逮捕状の請求及びその執行並びに本件指紋採取はそれぞれ職務の執行としてなされたものであるから、被告県は、国家賠償法一条一項に基づき、原告に生じた後記損害を賠償する義務がある。

(二) 被告国の責任

中原裁判官は、逮捕状の請求が行われた際、北署長が収集した資料はすべて逮捕状請求書の添付書類として見ているはずであり、右資料等によれば、原告について逮捕の必要性がないことは一見して明らかであり、右の点について判断を誤るということはあり得ないというべきである。それにもかかわらず、右裁判官は違法な逮捕状請求に安易に追従し、逮捕の適法性審査権限の放棄にも等しい安易な逮捕状発付をしたものであって、右は故意又は過失によって、裁判官として職務上遵守すべき義務に客観的に違反したものというべきである。

中原裁判官は、被告国の公権力の行使にあたる公務員であり、逮捕状の発付は職務の執行としてなされたものであるから、被告国は、国家賠償法一条一項に基づき、原告に生じた後記損害を賠償する義務がある。

5  損害

原告は、違法な本件逮捕及びその際の違法な本件身体検査により、外登法の指紋押捺拒否者としての名誉感情を著しく害される等多大の精神的苦痛を被ったものであり、この精神的損害に対する慰謝料は、最低でも金一〇〇万円が相当である。

6  指紋票等の返還請求権

憲法一三条は人格権、プライバシー権を保障しているが、その中には自己の情報を排他的、直接的に支配管理する権利が含まれており、右権利は公権力による個人の情報の積極的侵害を排除するという自由権としての側面を持つとともに、ひとたび公権力によって自己の情報を違法に侵害されたならば、物権的返還請求権と同様に、右情報の返還を請求できるという社会権的側面を有していると解すべである。そして、指紋は個人を識別する最も有効な情報であり、被告県は、前記のとおり違法に原告の指紋、掌紋を採取し、それらが印象された指紋票及び掌紋が印象された書類を占有、管理しており、被告国は、原告の指紋が印象された指紋原紙を占有、管理しているのであるから、原告は、右人格権、プライバシー権に基づき、被告国及び同県に対して、それぞれ、右書類の返還を求めることができる。

7  よって、原告は、被告らに対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償として、連帯して金一〇〇万円及び本件不法行為の日である昭和六一年一一月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことならびに人格権、プライバシー権に基づき、被告国に対し、昭和六一年一一月五日に北署長が採取して同被告が保管する原告の指紋が印象された指紋原紙の引渡し、被告県に対し、同日同署長が採取して同被告が保管する原告の指紋が印象された指紋票及び原告の掌紋が印象された書類を引き渡すことを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち、原告が昭和六〇年三月六日、尼崎市役所で外国人登録証明書の紛失による再交付申請手続をした際、同市役所外国人登録担当職員により外登法一四条に定める指紋の押捺を求められたが、これを拒否したことは認め、その余は知らない。

3  同2(二)ないし(四)の事実は認める。

4  同2(五)(1)の事実は認める。

5  同2(五)(2)の事実のうち、北署員が、原告の指紋を採取せんとしたこと、原告が拒否の姿勢を示したこと、景行警部補外の警察官が原告の前後左右を取り囲んだこと、警察官が有形力を行使したこと、外数名の警察官が原告の腕に本件器具を装着し、原告の拳を一指づつ右器具に固定させ、原告から順次左右両手の一〇指の指紋及び掌紋を採取したことは認め、その余は否認する。

6  同2(五)(3)の事実のうち、原告の指紋が印象された指紋原紙、指紋票が作成されたこと、被告国が右指紋原紙を保管していること、被告県が右指紋票を保管していることは認め、その余は否認する。

7  同2(五)(4)の事実のうち、逮捕状の執行及び指紋採取等の身体検査が、いずれも辰巳署長の指揮の下になされたことは認め、その余は知らない。

8(一)  同3(一)(1)のうち、指紋押捺の制度が違憲無効の疑いが濃厚であり本件逮捕の理由が薄弱である旨の主張は争う。

(二)(1)  現行の外国人登録制度は、我が国に戸籍がなく、住民登録を行っていない外国人について、氏名・生年月日等の身分事項や在留資格、在留期間あるいは本邦における居住地、職業等を登録させ、その在留の実態を明確にしようとするものであって、登録原票は我が国に在留する外国人の居住関係及び身分関係を登録する我が国における唯一の公簿としての性格を有するものである。

指紋押捺制度は、万人不同、終生不変の特性を有する指紋によって、我が国に戸籍がなく、地縁、血縁関係の薄い外国人を誤りなく特定し、且つ事後、人物の同一人性を確認するため、登録の原簿たる登録原票に指紋を押捺させるとともに、これを市区町村において保管して、全国各地に在留する外国人にかかる指紋原紙を法務省において集中管理し、さらに、昭和六三年六月一日以降は外国人に携帯を義務付けている外国人登録証明書に指紋を転写するようにし、現場において在留外国人の身分関係を即時且つ的確に確認できるようにしている。

又、指紋押捺制度は、登録する外国人に指紋を押捺させることによって登録した人物を特定し、外国人登録の正確性を維持することのほか、昭和二〇年代に続出した二重登録や他人名義登録などの不正登録の発見及び防止をも重要な目的としている。このため、指紋押捺制度の発足に際し、法務省において登録された外国人の指紋の換値分類を行ない、全国から送付される指紋原紙の指紋を紋様によって分類し、これを数値化して厳格な指紋の照合を行なった。その結果、同一人による二重登録や他人の外国人登録証明書を不正入手して適法在留者になりすます入れ替わり登録等の不正が発見できるようになった。

なお、その後、指紋押捺制度が奏功して不正登録が減少し、さらには行財政事情等から業務の簡素化を図る必要があったため、昭和四五年以降、換値分類作業を中止したが、指紋の照合による同一人性確認の体制は次のように維持されている。

① 各市区町村から法務省に送付される指紋原紙は、登録切替年度別、登録番号順に分類整理し、カードケースに収納、保管している。

② 同省入国管理局登録課指紋係において、市区町村から送付される指紋原紙上の指紋と前回送付された指紋原紙上の指紋とを対比照合することにより同一人性を確認しており、更に精密な鑑別を必要とする場合には、専門的能力を有する入国警備官に鑑別を依頼することにしている。

指紋押捺制度発足当時、不正登録が全国的に多発していたが、指紋押捺制度はその規制にきわめて大きな効果をあげ、二重登録等幾多の不正登録を発見し、さらに抑止効果を含め、外国人登録の適正化、正確性の維持に大きく寄与した。

このような措置をとった結果、外国人登録制度は逐次整備されて正確性を増し、信頼性を増しつつあるが、戦後の混乱期に比べ不正登録数は減少してきているものの、現在においても、他人名義の外国人登録証明書を不正入手して適法在留者になりすます事例も散見されている。

しかも、アジア地域における政治、経済、社会的諸事情は流動的であって、今後再び不法入国や不正登録を企てる外国人が増加することも懸念されるところ、指紋押捺制度は、外国人登録の正確性を維持する上で効果的であるのみならず、不正を思いとどまらせる抑止的効果もあり、今日なお極めて有効且つ重要な制度である。

(2) 憲法一三条がみだりに指紋押捺を強制されない自由ないし権利を保障する趣旨かどうか疑問の存するところであるが、仮にこれを保障する趣旨であるとしても、個人の有する自由ないし権利も公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、同条の規定に照らして明らかである。

指紋は、通常衣服に覆われていない部位である指先の体表の紋様であって人目に触れうるものであり、指紋の形状は人の身体的あるいは精神的特徴とは結び付いていないものであるから、指紋を知られることそれ自体によって人が私生活上の自由の一内容として秘密にしておきたい個人の私生活の在り方、思想、信条等が知られるものでなく、指紋押捺自体は、犯罪捜査を連想させることから、人により不快感を伴うことがありうることは別として、特に肉体的、精神的負担を課すものではないのであるから、国家が指紋を採取、保有及び使用することは、正当な行政目的を達成するために必要かつ合理的である限り、憲法の許容するところであるというべきである。

およそ国家は、国際慣習法上、外国人を受け入れる義務を負っているものではなく、特別の条約がある場合を除き、外国人を受け入れるか否か、受け入れる場合にいかなる条件を課すかについて自由に決定できる権限を有しており、我が国の憲法もこのことを当然の前提としていると解される。したがって我が国も憲法上、外国人の入国及び在留に関し管理を行なう権限を有するというべきであり、その管理の前提として我が国に在留する全ての外国人について、その居住関係、身分関係を明確に把握することが必要不可欠であるところ、外国人登録制度の目的は、まさにこの前提を整えることにあり、同制度は正当な行政目的を有するというべきである。

そして我が国に在留する外国人を個別的に明確に把握するために外国人登録制度を実施する以上、まず個人を正確に特定したうえで登録し、登録された特定の個人の同一人性を登録上保持し、さらに在留する外国人と登録上の外国人との同一人性を確認できるようになっていることが必要であるが、指紋押捺制度は右の必要性に応えることを目的としており、それとともに、昭和二〇年代に続出した二重登録や他人名義登録等の不正登録を発見、防止し、ひいては不法入国、不法在留を抑止することをも目的としているのであって、指紋押捺制度の行政目的が正当なものであることは明らかである。

日本人は、日本国の構成員であり、我が国に入国、在留する当然の権利を有するのに対し、外国人は、我が国に入国、在留するについて、個別にその資格を必要とし、入国、在留を希望しながら、その資格を取得できない外国人が、不法入国等不正な手段で入国、在留し、適法在留者の外国人登録証明書を不正入手するなどの事例が多く、将来もその危険性が大きい。したがって、入国、在留する資格の有無を個別具体的に確認するため人物を正確に特定して登録する必要性は日本人よりもはるかに大きいのである。最近、出入国管理及び難民認定法に規定する退去強制事由に該当し退去強制令書の発付を受けた外国人は急激な増加の傾向にあり、平成元年には、不法入国、不法上陸した者二五四二名、不法残留した者一万八八八三名、在留資格外の活動を行なった者六九四名、その他、刑罰法令に違反して処罰された者等三〇名、合計二万二一四九名に達している。しかも、これらの数は摘発し得た外国人の数であり、不法入国者や不法残留者で摘発を逃れて滞在している者は十数万人と推定され、適法に在留する外国人と不正に在留する外国人を明確に識別するための確実な手段を講じておくことは今日なお重要である。

外国人は、その氏名、生年月日等の身分事項が我が国にとって不分明なことが多く、又、一般的に、外国人は我が国での在留期間が短く、地縁・血縁が少ない等我が国との密着度が乏しいため、同一人性の確認には困難が伴うので、外国人について、日本人に比して、人物を特定、識別するためのより確実な手段を講じる必要性が存する。

又、長期間日本に在留し我が国との密着度が比較的高い外国人の場合であっても、我が国との関係は日本人とは基本的に異なるものであって、昭和六三年一二月現在の登録人口の約六六パーセントは戦前から居住する朝鮮半島出身者及びその子孫であるが、これらの者であっても、その親の身分関係が不明確な場合があり、現に親の氏名、本籍地が訂正された結果、その子の姓や本籍地、世帯主が訂正される事例も多いこと等に徴すれば、右朝鮮半島出身者及びその子孫が日本で長期間居住し、あるいは日本で生まれたことを理由として日本人と同一視することはできない。

指紋は万人不同、終生不変という特性を有し、人物を特定する簡便且つ最も確実な手段である。殊に鮮明な指紋の照合は、二つの指紋を肉眼で対照することにより、容易且つ迅速に同一人性を確認することが可能であり、又、仮に、肉眼による照合で同一人性を確認できない場合は専門的鑑定によって、その同一人性を科学的に確認することができるものである。

写真も人物特定のための有効な手段であり、比較的容易に同一性を確認しうるという利点を有する他、顔写真の貼付にはそれ程の心理的抵抗感がないとされ、現在では旅券、船員手帳、運転免許証、入学願書、その他の身分証明書等各方面に広く利用されているが、顔写真による識別は肉眼による主観的判断に頼るものであり、確実性を期し難いものである。又、容貌は年齢・髪型等によって変化し、兄弟姉妹の相似や他人の空似ということもある。写真も、撮影の角度、光線の強弱等によって微妙な差が生じるなど、顔写真だけでは客観的な確認の手段として必ずしも十分とはいえない。

さらに、同一人性を確認する手段として、署名、押印、身長等の身体的特徴の記載等の方法が考えられないではない。しかし、署名は欧米人には用いられているが、東洋人等には習慣として定着しておらず、且つ筆跡による同一人性の確認は不確実であり、又、押印は印鑑を貸与し、又は、譲渡することにより、容易に他人が行使しうるものであり、その鑑定も容易ではない。さらに、身長等の身体的特徴の記載も、身長、体重、髪、眼の色、血液型等は、いずれも類似性の多いもので確実に人物を特定する資料としては不十分なものであり、他に指紋に代替して人物を特定し、同一人性を確認できる有効適切な手段は見当たらない。

以上のとおり、指紋押捺制度は、正当な行政目的を達成するための手段として必要かつ有効な制度であり、一指についてのみその表層にある指紋の押捺を、有形力をもって直接的に強制するのではなく、刑罰をもって間接的に強制しているにすぎないことをも考慮すれば、憲法一三条に違反するものではないことは明らかである。

(3) 前記のとおり、国家は、国際慣習法上外国人を受け入れる義務を負っているものではなく、特別の条約があるときを除き、外国人を受け入れるか否か、受け入れる場合にいかなる条件を課すかについて自由に決定する権限を有しており、外国人は、憲法上、我が国に入国し在留する権利を保障されていないのであって、外国人の我が国との関係は日本人のそれとは基本的に異なっていること、日本人は我が国に入国し在留する当然の権利を有しているので、入国、在留に関しては、日本人であることが明らかである限り、それ以上にその同一人性を確認する必要性が無いのに対し、外国人の場合は、入国又は在留する資格を有するものであることを個別具体的に確認しなければならず、そのためには、確実な同一人性確認の手段が必要であること、外国人については、日本人と異なり、身分事項が我が国にとって明確でないことが多く、又、一般に我が国との密着度が低いので、同一人性の確認には困難が伴うことなどに鑑みると、在留外国人についてのみ指紋押捺制度を設けることには合理的根拠があり、同制度が憲法一四条に違反しないことは明らかである。

(4) 指紋押捺制度は、刑罰をもって指紋の押捺を間接的に強制するものであるが、同制度の必要性及び合理性は前記のとおりであり、指紋不押捺を処罰すべき実質的根拠があることは明らかである。

又、戸籍法及び住民基本台帳法は、その各種義務違反に対して過料を規定するにとどまるが、右各種義務違反と指紋押捺義務違反との間にはその内容や義務を課す必要性について差異が存するのであるから、外登法の指紋不押捺罪に対する制裁が立法裁量の限度を越え、罪刑の均衡を失しているとはいえず、指紋押捺制度が憲法三一条に違反するものでないことは明らかである。

(5) 前記のとおり、国家は、国際慣習法上、外国人を受け入れる義務を負っているわけではなく、条約のある場合を除き、外国人を受け入れるか否か、受け入れる場合にどのような条件を課すかについても、当該国家の自由裁量に任されているのであって、B規約もこの裁量権を容認していると考えるべきであり、前記のとおり合理的必要性を有する指紋押捺制度がB規約に違反するものでないことは、明らかである。

(6) 原告のようないわゆる定住外国人の場合でも、我が国との関係でその地位が基本的に日本人と異なることは、他の外国人と変わりがないのであり、又、我が国社会との密着度においても国民と同じであるとは到底いえないのであるから、外登法により国民と異なる規制を受けることはやむを得ないというべきであって、原告に対し、指紋押捺義務を課することが憲法三一条等に違反するものであるとはいえないことが明らかである。

(7) 以上述べたとおり、外登法上の指紋押捺制度は、憲法一三条、一四条、三一条、B規約に違反しないことは明らかであるから、右違反を理由とする原告の主張は、その前提を欠き理由がないものというべきである。

9(一)  同3(一)(2)の事実のうち、原告が肩書住所地で妻子と家庭生活を営み、住所地の近くで主張の茶房を経営していること、北署長に対し「取調べを拒否するものではない。自分が経営する茶房で弁護士立会のもとであれば、取調べに応ずる。」旨言明していたことは認め、同茶房の経営の始期は知らない。その余は争う。

(二)  同3(一)(3)は争う。

(三)  本件逮捕の必要性について

(1) 被疑者を逮捕するためには、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があることに加え、逮捕の必要性があることを要するとされているが、刑事訴訟法一九九条二項は、「裁判官は、……前項の逮捕状を発する。但し、明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、この限りでない。」とし、同規則一四三条の三は「逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、……被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。」と規定し、「明らかに逮捕の必要がない」ことを裁判官による逮捕状発付の消極的要件としていることからすると、逮捕の必要性があるというためには、「被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がない」とは認められないことで足りると解される。

又、通常、捜査の初期に行われる逮捕の必要性の判断について厳格な疎明を要求すると、適正な捜査の遂行に支障を来すおそれがあること、捜査機関は逮捕後速やかに被疑者に弁解の機会を与えるなどした上、留置の必要性を判断し、その必要性がないと認められる場合には直ちに釈放しなければならず、留置の必要があると認められる場合でも四八時間以内に検察官に送致し(警察官による逮捕の場合)、検察官においてより厳格な要件のもとに身柄拘束継続の要否を判断させることにしていることを考慮すると、逮捕の要件としての逃亡のおそれ又は罪証隠滅のおそれの程度は勾留の要件としてのそれらのおそれの程度より低いもので足りることは明らかである。このことは、刑事訴訟法が勾留については逃亡のおそれ又は罪証隠滅のおそれ等があることをその積極的要件としているのに対し、逮捕状の発付については、明らかに逮捕の必要性のないことを消極的要件としていることからも明らかである。

本件における逮捕の必要性の有無についても、かかる見地に立って判断されなければならない。

(2) 本件において原告は、正当な理由がないのに五回にわたり出頭要求を拒否したものであり、このことは、逃亡及び罪証隠滅のおそれの存在を強く推定させるものである。

すなわち、本件において、景行警部補が原告に対し出頭を要求した時点で、原告が指紋押捺を拒否した事実については、一応これを立証するに足りる証拠が存在したが、さらに原告の右事実についての弁解、主張等を聴取するとともに、犯行の具体的状況について原告の取調べを行う必要があった外、事案の性質上、原告の指紋押捺拒否の経緯、動機及び目的、犯行の計画性及び組織性の有無及び内容、背後関係及び共犯者の有無、犯行前後の指紋押捺制度反対に関する活動状況等について捜査により解明することが必要であり、これらについて解明するためには、原告の取調べが必要不可欠であったから、景行警部補が原告に対し出頭を要求したことは捜査官として当然の行為である。

しかるに原告は、五回にわたり出頭を求められたにもかかわらず、その都度、出頭することに何ら支障もないのに、不出頭を繰り返し、その理由について「取調べの必要もなく出頭義務もないから出頭の意思はない。」旨を明言していたのであって、原告が出頭要求を拒否したことに正当な理由がなかったことは明白である。

一般に、被疑者が刑事訴訟法一九八条一項に基づく出頭要求に応じないことは、逃亡ないし罪証隠滅のおそれの一つの徴表というべきであって、被疑者の不出頭は逃亡ないし罪証隠滅のおそれの存在を推定させるものであり、その推定は不出頭の回数が重なるにつれて強く働くことになり、逮捕の必要性が次第に大きくなるものと認めるべきである。

本件において原告が、五回にもわたって出頭要求を拒否したことは、逃亡ないし罪証隠滅のおそれの存在を強く推定させる事実であるというべきである。

(3) さらに、以下のとおり、本件指紋押捺拒否事案の内容、捜査状況等に照らしても、逃亡ないし罪証隠滅のおそれが存在したことは明らかである。

検察官の起訴不起訴の決定、裁判所の量刑にあたっては、犯罪の成否のみならず、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状ならびに犯罪後の情況等を考慮しなければならず、罪証隠滅のおそれの有無を判断する場合には、犯罪事実自体についてのみならず、これらの事情についても検討されなければならない。

そして、指紋押捺拒否事案においては、犯罪事実の存否はもとより、事案の性質上、指紋押捺を拒否した経緯、動機及び目的、犯行の計画性及び組織性の有無及び内容、背後関係及び共犯者の有無、犯行前後の指紋押捺制度反対に関する被疑者の活動状況等について捜査し解明することが必要であるところ、本件においては、逮捕前の捜査により、

① 近畿地区外登法改正闘争委員会発行のビラに指紋押捺拒否者として原告の氏名が記載されていたこと

② 原告が経営するどるめんにおいて、毎月一回指紋押捺反対運動の学習会が開催されていたこと

③ 右どるめんの入口に、同店において「どるめんお茶の間大学」と称する指紋押捺制度反対に関する学習会を開催する旨の掲示があったこと

④ 右どるめんの入口に置かれたアムネスティ園田グループ発行の「赤とんぼ通信」に指紋押捺制度に関する学習会の開催を知らせる記載があったこと

⑤ 原告と親しい支援者らが、指紋押捺制度反対を要求するはがき運動を行うことになり、右どるめんの入口に、右はがき運動を呼び掛けるビラが置かれていたこと

⑥ 右どるめんの前に「STOP指紋押捺制度」と書かれた立看板(原告が書いたもの)、「私たちは外国人登録法改正等を要求し、指紋押捺拒否者に対する警察の不当ないやがらせを許さない」等と書かれた立看板(原告の友人が書いたもの)が立てられており、原告の自宅前には「指紋押捺制度を撤廃させよう、指紋押捺制度拒否の思想」という見出しの張り紙(原告が書いたもの)が張られていたこと

等が判明しており、これらを総合すると、原告の本件指紋押捺拒否は原告の積極的な指紋押捺制度反対運動の一環であること、近畿地区外登法改正闘争委員会及びアムネスティ園田グループという支援団体やその他の支援者らが原告を支援していること、原告は支援者らと指紋押捺制度反対に関する会合を行ない、そのための場所を提供する等していたこと等が窺われ、さらに原告の指紋押捺拒否については、これらの団体、支援者のグループが関与しており、その指示、支援を受けた計画的且つ組織的犯行であり、これらの者との共犯関係が存在することも窺われたのである。

したがって、これらの点について解明することが捜査上必要であったところ、本件逮捕の時点において、これらの点についての具体的解明がなされていなかったことに加え、事柄の性質上、原告がこれらの点について真相を秘匿しようとすることは、容易に推測しうるところであることを勘案すると、原告が、これらの点についての解明を困難ならしめるため、支援者らとの通謀その他の方法により罪証隠滅を図ったり、あるいはこれらの者の援助をうけるなどして、捜査機関に対して原告の所在を把握することを困難にするおそれが存在したことは明らかというべきである。

また、本件逮捕の時点において、原告の犯行の具体的状況、その際の原告の態度、言動等の詳細についても未だ解明されていなかったことからすれば、これらの点について、原告が支援者らと通謀し、あるいは支援者のグループを介するなどして尼崎市職員に捜査に協力しないよう働きかける等の方法で罪証隠滅を図るおそれがあり、又重要な物証である外国人登録証明書を破棄、隠匿する可能性も否定できなかったというべきである。

(4) 加えて、以下のとおり、原告が指紋押捺拒否の事実自体を争っておらず、自己の指定する場所で弁護士等の立会いのもとでなら取調べに応じる旨意思表示していたとしても、それをもって、罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれを否定することは失当である。

① 本件逮捕までの時点において、原告が犯行自体を積極的に争っていなかったとしても、自白調書が作成されていたわけではなく、捜査の進展に伴い、又起訴後に至って否認に転ずることも必ずしも珍しくない上、犯行の動機及び具体的状況、背後関係、支援団体の活動状況、共犯関係等については未解明であって、原告の取調べ等によりこれらを解明する必要があり、しかも原告がこれらの点について秘匿しようとしていたことは明らかであるから、原告が犯行自体を積極的に争っていなかったからといって、罪証隠滅ないし逃亡のおそれを否定することは失当である。

② 原告は警察の出頭要求に対し、原告経営の喫茶店において弁護士ないし妻の立会いのもとでなら、取調べに応ずる旨申し出ていたものであるが、このような状況下での取調べでは、捜査の密行性や被疑者のプライバシー保護の観点から問題がある外、一般客の出入りや原告の支援者や弁護士等による取調べへの介入、妨害等の可能性もあり、取調べの目的を達することができないことも予想された。又、原告は右のような条件下で取調べに応じる旨申し出ていながら、一方では自己の犯行は明白であるから取調べの必要がない旨の主張を維持していたことからすれば、原告は、犯行の詳細や動機、支援グループの関与等背後関係や共犯関係等については供述を拒否して秘匿しようとしていたことは明らかであって、右申し出をしたからといって、これらの点についての解明を困難ならしめるなどの目的で罪証を隠滅し、あるいは逃亡するおそれがあることを否定することはできないというべきである。

(5) 以上のとおり本件逮捕の時点において、原告が罪証を隠滅し、あるいは逃亡するおそれが存在していたというべきであり、他に原告の逮捕を不必要ならしめる事情は認められないから、結局原告について、逃亡するおそれがなく、且つ、罪証を隠滅するおそれがない等明らかに逮捕の必要性がなかったとは認められず、本件逮捕に違法な点はない。

10(一)  同3(二)(1)は争う。

(二)  同3(二)(2)の事実のうち、北署の警察官が何度も原告本人と面談しており、押収した原告の外国人登録証明書には本人の写真もあること、辰巳署長が北署の警察官等を指揮して写真撮影、指紋採取等の身体検査をしたことは認め、その余は否認ないし争う。

(三)  被疑者の指紋を採取するのは、指紋照会により被疑者の身元を確認するとともに、その犯罪経歴を明らかにするためであるが、被疑者の身元を確かめることは、被疑者の特定のために必要であるばかりでなく、公訴提起の要否を判断するについても(刑事訴訟法二四八条)、量刑にあたっても必要なことであり、さらに、犯罪前歴に関する事項を明らかにしておくことは累犯加重の要件や常習性の認定にあたっても、量刑にあたっても、不可欠なことがらである。

したがって、指紋照会によってそれらの事項を明らかにすることは、当該被疑事実に関する捜査上常に必要とされることであるといわなければならないのであり、犯罪捜査規範一三一条は、かかる見地から警察官に対し、逮捕した被疑者につき、一般的に指紋の採取を行うべきことを命じたものと考えられる。

本件において、景行警部補らは、外国人登録法違反により適法に逮捕した原告について、被疑者の写真を撮影し、身長及び足長を測定し、指紋原紙及び指紋票に十指指紋を、指紋票に掌紋を採取したものであるが、これらは、刑事訴訟法二一八条二項、犯罪捜査規範一三一条一項、指紋取扱規則三条一項、兵庫県警察指紋等取扱規程三条の各規定にしたがって行われたものであることは明らかである。

(四)  同3(二)(3)は否認ないし争う。

(五)  被疑者が指紋採取に任意に応じず、これを拒否した場合において、その目的を達成するため必要最少限度の有形力をもって直接強制をすることが許されているところであり、本件の場合、指紋採取に際し警察官らの度重なる説得にもかかわらず、原告が両手を後手にして握りこぶしを作り積極的に抵抗している状況下において、数人がかりで掌を開き実力をもって指紋を採取した場合、はずみで手の指の骨折その他の傷害が起こりうる可能性が予見されるところから、右傷害の発生を防止するため、指紋採取において適当な補助用具を使用する程度の実力の行使は許容される最少限度のものであるところ、本件指紋採取の直接強制は、警察官五名で行ったものであるが、原告の右抵抗の状況に鑑みると、原告の左右の腕を各一名が持ち、本件器具を二名で原告に装着し、一名が指紋を採取するという方法を用い、原告の抵抗を排除しつつ、指紋採取を実施したことは相当であったというべきである。右器具を装着する際、後ろ手にしている原告の腕を前に伸ばさせ、握った指を開かせるため実力を行使しているが、原告の抵抗の状況からすれば、指紋採取のために右の程度の実力行使が必要であったことは明らかであり、その他に特段の実力行使は行われておらず、原告は右実力行使の際特段の痛みを感じず、怪我もしていないのであるから、本件指紋採取のための直接強制は、必要最少限度の実力を用い、極めて適切な方法で行われたものというべきである。

(六)  同3(二)(4)は否認ないし争う。

(七)  原告は景行警部補の法的根拠を示しての再三の説得にもかかわらず、指紋採取に応じず、拒否する旨を明言した上、両手を後ろ手にして拳を握り抵抗の姿勢を示していたのであり、原告の指紋採取拒否が思想的確信によるものであったことからしても、それ以上の説得が効果がないことはもとより、過料や刑事罰によっても指紋採取に応じることは期待できなかったことは明らかであるから、同警部補が直接強制の方法を選択したことは適法である。

11  同4(一)、(二)は争う。裁判官がした逮捕状の発付行為につき国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、①右裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、②当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解すべきであるから、原告のこの点に関する主張は失当である。

12  同5の事実は知らない。

13  同6の事実のうち、指紋が個人を識別する最も有効な情報であること、被告県が原告から指紋や掌紋を採取し、指紋票を保管していることは認め、その余は否認ないし争う。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者

原告が昭和二六年七月二三日に島根県で出生した在日朝鮮人であることは当事者間に争いがない。

二本件逮捕に至る経緯及び本件逮捕の状況

1  請求原因2(一)ないし(五)(1)の事実はいずれも当事者間に争いがない(但し、同2(一)のうち、本件指紋押捺拒否が原告の良心及び信条に基づくものであることは除く。)。

2  右争いのない事実並びに証拠(<書証番号略>、証人景行新太郎、同奥田典宏、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、次の各事実を認めることができる。

(一)  原告は、外国人登録証明書を紛失したということで、昭和六〇年三月六日午後二時二〇分頃、尼崎市役所を訪れ、外登法七条一項に基づき、外国人登録証明書の再交付申請を行なった。右再交付の手続において、原告は、同市役所職員から、同法一四条に定める外国人登録原票、外国人登録証明書、指紋原紙への指紋押捺を求められたが、「外登法は在日朝鮮人を管理するためのものである。指紋で同一人性を確認する必要性について合理性が見出せない。日本人については住民登録等の際に指紋による同一人性の確認はなされていない。指紋押捺制度は外登法の中の一つの問題であり、人権意識の問題として指紋押捺を拒否し、あえて法律を犯す。」旨述べてこれを拒否した。

しかし、尼崎市長は、指紋不押捺のまま原告に対し、指紋事項記入欄に「法七の一申請にかかる指紋不押なつ」と記入した外国人登録証明書を交付した。

(二)  浜田署長は、昭和六〇年四月一〇日、兵庫県警察本部警備部外事課から、垂水警察署が同日入手した近畿地区外登法改正闘争委員会発行のビラに、北署管内の指紋押捺拒否者として甲一郎(原告)外二名等の氏名が出ているところ、右三名については北署管内居住者と思われるので捜査を開始されたい旨の電話連絡を受け、直ちに、尼崎市役所外国人登録係に電話照会したところ、右三名はいずれも管内に居住していることが判明した。そこで同月一一日、同署衣川勲警部は、原告の指紋押捺拒否の事実を確認するため、尼崎市長に対し、原告の外国人登録原票(以下「登録原票」という。)の有無を照会するとともに、これが存在する場合にはその謄本一通及び家族票謄本一通の作成、交付を依頼し、同日尼崎市長から原告の登録原票の謄本の交付を受け、これによって、原告が同年三月六日外国人登録証明書の再交付申請をした際、登録原票、外国人登録証明書及び指紋原紙に指紋を押捺しなかったことを確認した。次に、同年六月二〇日、浜田署長は、法務省入国管理局登録課長に対し、原告の指紋原紙、外国人登録証明書交付報告書及び指紋押捺拒否報告書の各謄本の交付を依頼し、同年七月一五日付けで、同課長から、①備考欄に「法七の一申請にかかる指紋不押なつ(原票、証明書、原紙)」と記載のある拒否時の指紋原紙、②本件再交付申請にかかる外国人登録証明書交付報告書、③尼崎市長が作成した「指紋押なつ拒否報告書」、④登録原票の各写しの送付を受け、これらの書類により、原告が外国人登録証明書を紛失したとして、同年三月六日尼崎市長に同証明書の再交付申請をした際、左手人指し指の指紋を押捺することを拒否したことを確認した。その後、原告の居住事実の確認や原告が経営する喫茶どるめんにおける指紋押捺拒否に関する学習会の開催状況等についての捜査を進める一方、昭和六一年二月二二日、同市における外国人登録事務の概要について同市市民局市民課外国人登録係大久保康徳から、本件指紋押捺拒否の状況について、同月二七日に同課長小寺邦太郎から、同年三月二五日に右大久保から、それぞれ事情聴取し、参考人供述調書を作成した。

(三)  辰巳署長としては、以上の捜査で本件指紋押捺拒否の事実をほぼ明らかにすることができたが、さらに、本件指紋押捺拒否の動機、その背景事情、支援団体の活動状況、共犯者の有無等について原告を直接取り調べる必要があると共に、原告が所持している指紋不押捺の外国人登録証明書を直接確認する必要があると考え、また捜査の密行性に鑑み、原告に任意出頭を求めて事情聴取をするため、右事件を担当していた景行警部補らが、昭和六一年七月一八日から同年一〇月八日までの間、呼出状により出頭日時、場所を指定して五回にわたって原告に出頭を要請したが、いずれも原告は出頭しなかった。

(1) 第一回目の呼出し及び不出頭の状況

同年七月一八日午前一一時一五分頃、景行警部補は原告の自宅に赴き、玄関で、原告の妻乙春子に対し、出頭日時を同月二三日午前九時から一〇時までの間、出頭場所を北署と指定した呼出状を手渡したところ、同人は、「呼出状は主人に渡しますが、任意に出頭するかどうか知りません。」等と言って、右呼出状を受け取った。これに対し、原告は、指定日である同月二三日(どるめんの定休日)、在宅しており、北署へ出頭するにつき特段の支障はなかったものの何の連絡もしないまま出頭しなかった。

(2) 第二回目の呼出し及び不出頭の状況

同月二五日午後〇時五〇分頃、景行警部補は原告宅に赴き、玄関前で原告に対し、出頭日時を同月二九日午前九時から同一〇時までの間、出頭場所を北署と指定した呼出状を交付し、出頭を要請した。これに対し、原告は、「警察の取調べには応じるつもりであるが、任意であるのでこちらの指定する場所で弁護士立会いの上で取り調べてほしい。七月二九日に取り調べるのであれば、私の経営する喫茶店で取り調べて欲しい。」等と述べた。同警部補は、原告の右申し出について、同日午後四時二〇分頃、原告に「喫茶店は営業店舗で取調場所としては適当でなく、弁護士立会いでは取調べに支障があるので、呼出状のとおり当署に出頭願いたい。」旨電話で回答したところ、原告は、「警察署へ出頭できない特別の理由は何もないが、私は任意出頭という形では警察には絶対行かないし、弁護士の立会いがなければ任意取調べには応じない。」等と述べた。さらに原告は、同月二六日付けで、北署長宛に「①取調べの場所を甲一郎経営の喫茶どるめんとする。②甲一郎の指定する弁護士の立会いのもとで行なう。」との条件で取調べに応ずる旨を記載した内容証明郵便を送付し、指定日の七月二九日には、在宅しており、北署へ出頭するにつき特段の支障はなかったものの出頭しなかった。

(3) 第三回目の呼出し及び不出頭の状況

同年八月一日午前一〇時四五分頃、景行警部補は、原告の自宅玄関前路上において、原告に対し、出頭日時を同月七日午前九時から同一〇時までの間、出頭場所を北署と指定した呼出状を交付し、出頭を要請した。これに対し原告は、同月四日付けで北署長及び同署警備課長宛に「取調べを拒否しているのではないことを再確認すると同時に、本人に対する取調べが必要であることの合理的根拠と、警察での取調べが必要であるというが他の場所では何故不都合なのか、その理由について説明してほしい。」旨記載した内容証明郵便を送付(同月五日受理)したのみで、指定日の八月七日には北署へ出頭するにつき特段の支障はなかったものの出頭しなかった。

(4) 第四回目の呼出し及び不出頭の状況

同月二九日午後二時一五分ころ、景行警部補は、どるめんの店内において、原告に対し、出頭日時を同年九月二日午前九時から同一〇時までの間、出頭場所を北署と指定した呼出状を交付して出頭を要請した。その際原告は、「取調べに応じなければ逮捕されることはよく知っている。取調べには応じるが、警察まで任意に出頭はしない。取調場所はこの店でも良いはずである。警察に質問状を出しているが、私の違反は明白であり、取調べの必要は認めないと言っているが回答がない。」等と述べた。これに対し、同警部補は、「文書による質問には既に何度も口頭で回答している。取調べの必要は警察側が判断して必要があると言っている。取調べの場所について、喫茶店では支障があるので警察署に出頭願いたい。」と回答した。

原告は、指定日の同月二日には北署へ出頭するにつき特段の支障はなかったものの、結局出頭せず、同日午前一〇時頃、同署に電話をして、同日午後一時にどるめんに電話をするよう同警部補に伝えてほしい旨述べたので、同警部補が同日午後一時にどるめんに電話したところ、原告は、同警部補に「本日の呼出しに対する回答は、今までと同じで任意出頭はしない。警察が私に対する取調べが必要であるというなら、九月九日土曜日に私の経営する喫茶どるめんで、開店前の午前一〇時から一一時までの一時間の間に応じる。立会人は今まで弁護士と言っていたが、私の妻に変更する。」等と述べたので、同警部補は、「一度検討して、本日中に回答する。」と答えて電話を切り、同日午後七時二五分に電話をして、「あなたの申し出た条件による取調べは、色々の面で問題があると思われる。取調べの場所は当警察の本署か園田駅前派出所にしていただきたい。」と回答した。これに対し原告は、「何故私の主張する方法での取調べをしないのか、任意出頭は本署であろうが派出所であろうがしない。今回の呼出しについては文書での回答はしないが、警察がどうしても任意で出頭せよというのであれば、私も今までの主張どおりで、絶対に任意出頭はしないと申し上げる。」と述べた。

(5) 第五回目の呼出し及び不出頭の状況

同年一〇月八日午後一一時五五分ころ、景行警部補は、原告の自宅に赴き、玄関で原告に対し、出頭日時を同月一三日午前九時から同一〇時までの間、出頭場所を北署と指定した呼出状を交付し、「任意出頭するよう五回目であるがお願いに来た。警察は任意捜査で事件を終了させたいと考えているので、呼出状にある日時に出頭願いたい。」と出頭を要請した。

これに対し原告は、「私の答えは今までと同じで、警察に行く必要は認めない。何度来ても同じだ。今回の呼出しに対してまた文書で回答する。」と言って呼出状を受け取った。

原告は、同月九日付けで、北署長及び同署警備課長宛に「取調べは私が経営する茶房どるめんにて弁護士の立会いのもとに応じます。」と記載した内容証明郵便を送付し、指定日の同月一三日には在宅しており、北署へ出頭するにつき特段の支障はなかったものの出頭しなかった。

(四)  本件指紋押捺拒否に起因する外登法違反被疑事件の捜査主任官である奥田警部は、以上の経過に鑑み、罪を犯したことが明らかであり、五回も出頭拒否を重ね、また指紋押捺拒否の支援団体がどるめんを集合場所として利用していることから、組織の支援を受けて逃亡するおそれがあり、外国人登録証明書を改ざんして罪証を隠滅するおそれがあると考え、原告に対する逮捕状を請求する必要があると判断し、同年一一月四日尼崎簡易裁判所裁判官に対し、本件外登法違反被疑事件につき逮捕状の発付を請求し、同日中原裁判官は、原告に対する逮捕状を発付した。右逮捕状請求書には、尼崎市長に対する捜査関係事項照会回答書、原告の身辺捜査に関する捜査復命書、尼崎市の担当職員の供述調書、任意呼出しに対する原告の不出頭の状況に関する捜査復命書等が資料として添付されていた。

そして、同月五日午前七時三〇分ころ、景行警部補は、逮捕状執行の責任者として、外六名の警察官とともに原告の自宅に赴き、同警部補外一名が玄関に入り、原告に対して任意出頭に応じるよう求めたが、原告はこれを拒否した。そこで同警部補は、同日午前七時五五分、原告に逮捕状を示し、被疑事実の要旨を告げて原告を逮捕し、原告が所持していた外国人登録証明書を差し押さえた。そして、同警部補は、原告宅前に配置していた普通乗用自動車に原告を乗車させ、同日午前八時一三分北署に引致した。

(五)  原告は、同日、北署で弁解録取、取調べ、弁護人との接見、写真撮影、指紋採取等の身体検査を受けた後、同日午前一一時一〇分、罪名外登法違反により、送致書類及び証拠品と共に神戸地方検察庁に身柄を送致され、右検察庁において取調べを受けた。その際原告は、略式手続によって起訴されることに異議を述べない旨の申述書に署名捺印した。そして原告は、同日、勾留請求されることなく釈放され、同月一二日、同法違反の罪により略式起訴され、同月一七日尼崎簡易裁判所において、原告を罰金三万円に処する旨の略式命令の告知を受け、同命令は確定した。

三本件指紋採取の状況

1  請求原因2(五)(2)の事実のうち、北署員が原告の指紋を採取せんとしたこと、原告が拒否の姿勢を示したこと、景行警部補外の警察官が原告の前後左右を取り囲んだこと、警察官が有形力を行使したこと、外数名の警察官が原告の腕に本件器具を装着し、原告の拳を一指づつ右器具に固定させ、原告から順次左右両手の一〇指の指紋及び掌紋を採取したこと、同2(五)(3)の事実のうち、原告の指紋が印象された指紋原紙、指紋票が作成されたこと、被告国が右指紋原紙を保管していること、被告県が右指紋票を保管していること、同2(五)(4)の事実のうち、逮捕状の執行及び指紋採取等の身体検査が辰巳署長の指揮の下になされたことはいずれも当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実と証拠(<書証番号略>、証人景行新太郎、同奥田典宏、同宇治正哲、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すると、次の各事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和六一年一一月五日逮捕された後、直ちに北署に引致され、同署二階の取調室において、奥田警部から被疑事実の要旨を告げられ、弁解を求められたのに対し、被疑事実を認めたので、同警部は、これを弁解録取書に記載し、原告に読み聞かせたところ、原告は右弁解録取書に署名、押印した。

(二)  次いで、景行警部補が、右取調室において、樫田巡査を立ち会わせて原告の取調べを行なったが、原告は、本件指紋押捺拒否の事実は認めたものの、前科前歴、学歴、家族関係、犯行の具体的内容、犯行に関与した者の有無、指紋押捺拒否者の支援グループとの関係等その他の質問に対しては一切黙秘したので、その経過をそのまま供述調書に記載し、原告に読み聞かせたが、原告は、その供述調書に署名、押印することを拒否した。

(三)  景行警部補は、取調べの途中、原告から弁護士への連絡の申し出を受けたので、直ちに原田紀敏弁護士に連絡し、取調べ終了後、原告は、接見室において、同弁護士と接見した。

(四)  その後、景行警部補は原告に対し、取調室において、これから写真撮影、指紋採取等の身体検査を行う旨を伝えたが、原告は、「指紋については拒否する。」旨を繰り返した。そこで、同警部補は、同日午前一〇時二五分頃原告を同署刑事課写真室に移し、同署刑事課鑑識係員が原告の写真を撮影し、その後、引き続いて同室において原告の身長及び足長を測定したが、原告は、それに何ら抵抗することなく応じた。

(五)  景行警部補は、続いて同日午前一〇時三〇分頃から右写真室において右鑑識係員による指紋採取を行うこととし、再度指紋採取について原告を説得したが、原告は「拒否します。」と言って、両手を後ろ手にして握り拳を作り、指紋採取に応じない態度を示した(原告は、指紋採取について警察官から何ら説明、説得等を受けていない旨供述するが、その供述は前掲各証拠に照らして信用できない。)。

(六)  景行警部補は、これまでの経過、原告の態度等から、原告から指紋を採取するには直接強制の方法によるしか他に方法がないと考え、同写真室に指紋採取の補助者として警備課員数名を呼び入れるとともに、原告に対する逮捕状を取得した同月四日に兵庫県警察本部鑑識課から予め借用していた指紋採取用具である本件器具を取り出して原告に示し、「どうしても指紋採取に応じてもらえないのなら、これを使用して採取する。」旨を告げて、同日午前一〇時三五分頃、指紋採取拒否の態度を依然として取り続ける原告に対し、直接強制による指紋採取に着手した。

(七)  被告は、立ったまま、なお両手を後ろ手にして握り拳を作り、指紋採取を拒否する態度を示していたため、一名の警察官が原告の胴体を後ろから手をぐるっと回して押さえ、原告の両側に立った警察官二名づつがそれぞれ原告の腕の肩の部分と腕の先端の部分を押さえ付け、原告の両手を前の方に四五度ぐらい突き出した格好で動かないように固定し、先ず右手から本件器具を取り付けにかかったが、原告は指先を曲げて力を入れ、大声で喚きながら抵抗する姿勢を示したが、腕を押さえていた警察官と鑑識の警察官が原告の腕の関節から先の部分に添え木を当てるような形で本件器具の板状の部分を当ててマジックテープで腕を本件器具に固定し、次に強く握りしめている原告の指を一本ずつ引き起こして順次マジックテープで本件器具に止め、五本の指全部を固定した上で、インクを指頭に塗布し、指紋原紙一枚、指紋票一枚を指頭及び掌に押し付けるようにして、指紋及び掌紋を採取し、左手も同様の方法で指紋及び掌紋を採取し、指紋原紙と指紋票各一枚を作成し、同日午前一〇時四六分頃、指紋採取を終了した。

この指紋採取の過程において、原告が受傷するということはなかった。

(八)  本件器具は、昭和五九年の暮れころ、逮捕した被疑者が指紋採取を拒否し、直接強制により指紋を採取する必要がある場合に使用する目的で、同本部鑑識課員が考案し制作したもので、人の片腕の形をした長さ約五〇センチメートル、幅約六センチメートルの薄いアルミニューム板の全面にビニールテープを巻き付け、それに腕(三か所)、掌及び五本の指を各固定するためのマジックバンド(腕については約四五センチメートル、掌については約三五センチメートル、指については約一二センチメートルのもの)を取り付け、肌に当たる内側は布を貼ったもので、その用法は、手の甲から肘関節にかけてアルミニューム板を添え、それに固定用のマジックバンドで伸ばした腕と開いた指を固定して装着するものであった。

四指紋押捺制度の適法性について

1  外登法一四条は、我が国に一年以上在留する一六歳以上の外国人に対し、外国人登録原票、外国人登録証明書及び指紋原紙への指紋押捺義務を課し、同法一八条一項八号は、右指紋押捺義務に違反して指紋の押捺をしない者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下の罰金に処する旨定め、更に、同条二項では、懲役又は禁錮と罰金とを併科することができる旨定めているところ、原告は、右各条項を基礎とする指紋押捺制度自体の違法性を主張するので、まずこの点について検討する。

(一)(1)  指紋は万人不同、終生不変の性質を有する身体的特徴であって、個人を識別する手段としては最も確実なものであるから、指紋を媒介とすることにより、個人を追跡することが可能になり、その意味でプライバシー侵害の危険性が生ずることになる。右のような指紋の特質に鑑みると、国民は、個人の私生活上の自由の一つとして、みだりに指紋押捺を強制されない自由を有するものというべきであり、右自由は、憲法一三条の保障する権利に含まれると解するのが相当である。そして、右自由は、権利の性質上日本国民のみを対象としているとは解されないから、外国人に対しても均しく保障されているものと解すべきである。もっとも、憲法一三条で保障される権利も、公共の福祉の観点から一定の制約を受けることがあることは同条の規定自体から明らかであり、右のみだりに指紋押捺を強制されない自由についても、当時の指紋押捺制度がその行政目的を達成するために必要かつ合理的な制度であって、その規制が右行政目的に照らして相当といえる場合には正当な公共の福祉による制約として憲法一三条に適合するというべきである。

(2) 外登法は、我が国に在留する外国人の登録を実施することにより、外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめて、在留外国人の公正な管理に資することを目的とする(外登法一条)ものであって、公共の利益に関する重要な目的を有するものであり、このような外国人登録制度を確実に機能させるためには、外国人を個別に正確に特定した上で登録し、登録されている者と在留する特定の外国人との同一性が問題になった場合に、誤りなくその同一性を確認することができるような制度を備えておく必要がある。個人の識別という観点から最も確実な手段である指紋の特質に鑑み、後記イないしハの事実をも併せ考慮すると、外登法一四条が外国人の特定、同一性確認のための手段として指紋押捺制度を設けたことは十分な必要性と合理性が認められるというべきである。

イ 人の特定、同一性確認のために、万人不同、終生不変の指紋を利用することが最も有効で確実な方法であることは前示のとおりであるが、これ以外に同じ目的を達成できる適切な方法が存在するか否かについてみるに、写真による同一人性の確認も、特別の技術や器具を要しないで一見して個人を識別することができるという利点があり、近時の写真技術等の進歩により、従前に比べ、その精度が高まり、ビニールコーティング等の方法による偽造、変造に関する対応策も開発されてきたということができるが、なお、近親者間あるいは他人の空似等の容貌の相似性、撮影条件や撮影技術によるいわゆる写真うつりの違い、同一人についての期間の経過による成長や老化、調髪様式、受傷等による容貌の変化、写真の張り替えや修正等による偽造・変造の防止策もいまだ完全とはいえないこと等の問題があることから、問題となった外国人の同一人性を写真のみで確認することは、極めて困難ないし不可能な場合があって、万全とはいえず、他の方法を不要とするほど有効適切な方法といい難い面があり、又、写真による確認方法以外に他に適切な代替手段も見当たらない。

ロ 現在、市町村の窓口では、外国人登録証明書交付の際、主に写真によって同一人性の確認を行っており(<書証番号略>)、法務省においても、昭和四五年以降指紋の換値分類作業を行なっていないが、各市町村から法務省に送付される指紋原紙は、登録切替年度別登録番号順に分類整理し、カードケースに収納、保管されており、具体的に外国人の個別的同一性が問題となった場合には、同省入国管理局登録課指紋係において、市町村から送付された指紋原紙上の指紋と前回送付された指紋原紙上の指紋とを対比照合することにより、同一人性を確認しており、さらに精密な鑑別を必要とする場合には、専門的能力を有する入国警備官に鑑別を依頼し、指紋の照合による同一人性の確認を行っているのであり(<書証番号略>)、指紋照合による同一人確認の制度は有効に維持されているものである。

ハ ところで、外国人の中には、原告を含む在日朝鮮人のように日本で生まれ育ち、日本社会との密着性の度合いが強い者もいるが、これらの者であっても、生年月日等について戸籍簿などの形で公証する記録が存在しているわけではないから、その親との身分関係が不明確な場合があり、現に親の氏名、本籍地が訂正された結果、その子の姓や本籍地、世帯主が訂正される例もあること等に徴すれば、日本で長期間居住し、あるいは日本で生まれたことをもって、直ちに日本人と同一視することはできない。また、外国人の場合、我が国に在留する資格の有無自体が問題となり得るという点において、日本国民との間に基本的な法的地位の相違があり、この点は右のような外国人についても同様であるといわなければならない。

(3) 指紋は、通常外部に表れている指先の紋様であって、それ自体でその個人の私生活のあり方や思想・信条等が明らかになるものではなく、指紋の押捺も、その行為自体としては一指(原則として左手人指し指)の回転指紋(現行法は平面指紋)をとるにとどまるものでそれほど過重な負担を強いるものではなく、肉体的苦痛を伴うものでもない。しかも、指紋押捺義務については刑罰による間接強制があるだけで、直接強制は許されていない。そして、指紋が従来犯罪捜査に使われてきたことにより、指紋押捺を要求された外国人が犯罪者扱いされたような不快感等を抱くことがあるにしても、指紋押捺が正当な行政目的のために行われ、指紋が犯罪捜査のために使われるのでないことを理解すればその不快感等は相当程度減じるものと考えられ、外国人として受忍限度の範囲内にあるものと解される。そうすると、指紋押捺制度は、その手段方法において、外登法の立法目的を達成するための相当性の範囲内にあるものということができる。

(4)  以上のとおり、指紋押捺制度は重要な公共の利益を目的としているもので、その立法目的は正当なものと認められ、その必要性、合理性も肯定することができ、その規制内容はその目的に照らして相当であると解されるから、右制度(ひいては外登法一四条一項、一八条一項八号)は、憲法一三条には違反しないというべきである。

(二) 法の下の平等を定めた憲法一四条の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても保障されるべきであるが、これは合理的根拠に基づいた区別までも禁止しているものではないところ、前記のとおり、日本人と在留外国人との間には法的地位に基本的な相違があり、指紋押捺制度は、その目的を達成するために、右差異に基づいて、前記のとおり必要かつ合理的な範囲内で行われるものであって、憲法一四条には違反しないというべきであり、この理は在日朝鮮人についても同様である。

(三) 指紋押捺制度は、刑罰をもって指紋の押捺を間接的に強制するものであるが、同制度の立法目的の正当性、必要性及び合理性は前記のとおりであるから、指紋不押捺を処罰すべき実質的根拠があることは明らかである。

又、戸籍法及び住民基本台帳法は、その各種義務違反に対して過料を課する旨を規定するにとどまるが、右各種義務違反と指紋押捺義務違反との間には、その内容や義務を課す必要性について差異が存するのであるから、戸籍法及び住民基本台帳法が定める過料に比して、外登法の指紋不押捺罪に対する制裁が著しく罪刑の均衡を失しているということはできず、指紋押捺制度は憲法三一条に違反するものではない。

(四) 前記のとおり、日本人と在留外国人との間には法的地位に差異があり、指紋押捺制度は右差異に基づいて、必要かつ合理的な範囲内で行われるものであって、B規約二条一項、二六条に違反するものではない。

又同様に、前記のとおり、指紋押捺制度の立法目的が正当なものであり必要性と合理性を有し、在留外国人に指紋押捺を強制することが、その手段、方法等に照らし、非人道的もしくは品位を傷つける取扱に該当しないことも明らかであるから、右制度はB規約七条にも違反しない。

2  以上のとおり、指紋押捺制度は適法なものであり、前記認定のとおり、原告は、外国人登録証明書の再交付を申請するに際して、外国人登録原票等に指紋の押捺をしなかったのであるから、原告に対しては外国人登録法(同法一四条一項、一八条一項八号)違反の罪が成立し、本件逮捕は、逮捕の理由があったものと認められる。

五逮捕の必要性について

1  司法警察員は、逮捕状を請求する際、逮捕の必要があることを認めるべき資料を提供しなければならない(刑事訴訟規則一四三条)。又、裁判官は明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状を発付してはならない(刑事訴訟法一九九条二項但書)のであって、同規則一四三条の三は、これを受けて、「被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。」として、逮捕の必要性の判断基準を示している。右条項にいう「等」は、逮捕の必要がない場合を包括的に表示しているものと解するのが相当であるから、被疑者に逃亡のおそれ及び罪証隠滅のおそれがないとはいえない場合であっても、犯罪の軽微性その他の諸般の状況から、身柄を拘束することが、健全な社会常識に照らし、明らかに不穏当と認められるような場合には、逮捕の必要性がないというべきである。

ところで、正当な理由のない不出頭が数回繰り返された場合には、通常、逃亡又は罪証隠滅のおそれが事実上推定されると考えられるが、逮捕の必要性を判断するに当たっては、右の点だけではなく、当該事件について認められるその他の事情も総合考慮して判断すべきである。

2  そこで本件について、逮捕の必要性の有無につき検討する。

(一) 前記二2(二)、(三)認定のとおり、本件逮捕の時点において、辰巳署長は、入国管理局及び尼崎市長に対する捜査照会の回答により、本件外登法違反被疑事件に関する客観的な証拠は一応入手しており、又、その他に尼崎市役所職員の供述調書をとるなど、右被疑事件を立証するのに必要な証拠はかなり揃えていた。

(二)  ところで、本件指紋押捺拒否の行われた当時、社会的に憲法違反等を理由として指紋押捺制度の不当性が叫ばれ、右制度の不当性を主張する一つの手段として、指紋押捺を拒否する在留外国人が全国的に出現していたこと、又、地方自治体の中にも、議会で指紋押捺制度の是正を求める請願、決議を採択するところが出てきていたこと、そして、指紋押捺拒否者の中には、正式裁判を申し立て、法廷において指紋押捺制度の違法性を主張する者もあり、指紋押捺制度の廃止を求める運動が大きな社会運動となっていた(<書証番号略>、証人朴愛子、同金善恵、原告本人、弁論の全趣旨)。

原告は、このような社会的状況を背景として、前記二2(一)認定のとおり、指紋押捺制度は在日朝鮮人を管理するためのものであり、その必要性も合理性も認められず、また、同制度は在日外国人を犯罪者扱いするものであるとして指紋押捺を拒否したのであり、原告自身も、北署長に対して本件指紋押捺拒否を認める旨の内容証明郵便を送付し、新聞記者に対してもこれを認める旨述べているのであって、一貫して本件指紋押捺拒否の事実を認めていたものである(原告本人)。

(三) 又、前記二2(三)認定のとおり、景行警部補が呼出状を交付するため、原告方を何回か訪ねた際には、いずれも原告あるいはその家族が在宅しており、その度に呼出状を原告あるいは妻に交付しているのであるから、たとえ北署長としては、原告が毎日きちんと帰宅しているのか否かが未確認の状態であったとしても、少なくとも原告が同所に現実に居住していることは確認していたものである。

(四)  さらに、原告は住所地に住居を構え、妻子と共に日常生活を営み、自宅近くにどるめんを経営し、比較的安定した生活を送っていた。

(五)  一方、指紋不押捺罪の法定刑は、「一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下の罰金」であるが、証拠(<書証番号略>、弁論の弁趣旨)によると、当時指紋不押捺によって懲役又は禁錮刑に処せられた者はなく、全て罰金刑に処せられており、その金額も一万円から五万円程度であった。

(六) 又、前記二2(三)認定のとおり、原告から北署長に対し、警察署以外の場所での取調べには応じる旨申し入れがあった。

(七) 加えて、前記二2(二)、(三)認定のとおり、辰巳署長は、捜査照会により、原告の指紋不押捺の指紋原紙及び外国人登録原票の写しは既に入手しており、同時に原告が外国人登録証明書への指紋押捺も拒否していることも確認しているのであって、たとえ、原告が外国人登録証明書を破棄するなどしても、外国人登録証明書への指紋押捺拒否も一応立証は可能であったと考えられ、又、原告は、本件指紋押捺拒否の事実自体は認めていたことも考慮すると、そもそも原告が外国人登録証明書を破棄するような可能性はそれほど高くはなかったのではないかとも考えられる。

(八)  しかしながら、前記認定のとおり、辰巳署長は原告に対し、書面で五回任意出頭の呼出しを行ったのであるが、原告は北署に出頭しなかったのであり、北署からの右呼出しは、時間的にも、又、日にち的にも(中には原告経営のどるめんの定休日も含まれていた。)幅のあるものであったこと、出頭を要請された各期日とも、警察へ出頭するについて何ら差し支えのある事情は存していなかったこと、又、原告も警察への出頭意思はなかった旨供述していることから考えると、そもそも、原告の不出頭は警察への呼出しに応じる意思がなかったことによるものであったと認められ、したがって、本件においては正当な理由のない不出頭が五回繰り返されたことになる。

(九)  又、被疑者である原告は、北署長に対する内容証明郵便の中で、本件指紋不押捺の事実を認めているが、それは、本件指紋押捺に至る経緯、動機、右不押捺の具体的状況等につき触れられておらず、かつ、右書面は一方的に送付されたものであり、北署長としては、独自に右の点について、詳しく原告本人から事情を聞く必要があったものと認められる。

(一〇)  なお、原告からの北署長に対する警察署以外の場所での取調べには応じる旨の申し入れがいかなる趣旨ないし真意に基づくものであるか必ずしも明確ではなく、本件被疑事件の捜査を担当する北署長が、右申し入れに難色を示し、結局、右申し入れを拒絶したのも、責任ある捜査機関として止むを得ない処置であったといわざるを得ない。

(一一)  これらの諸事情に照らすと、原告の本件指紋押捺拒否に至った経緯、具体的状況、動機、支援団体の活動状況、共犯者の有無などについてなお不明な部分があるといわざるをえない。

(一二)  加えて、原告の氏名が近畿地区外登法改正闘争委員会発行のビラに指紋押捺拒否者として記載されていたこと、原告が経営するどるめんにおいて、毎月一回程度指紋押捺反対運動の学習会が開催されていたこと、右どるめんの入口に、同店で開催される「どるめんお茶の間大学」と称する指紋押捺拒否に関する学習会の掲示がなされ、同所には、アムネスティ・インターナショナル日本支部園田グループ発行の「赤とんぼ通信」が置かれていて、その中には、前記学習会どるめんお茶の間大学の開催を知らせる記載があったこと、原告と親しい友人らによる、指紋押捺制度反対のはがきを地方自治体に送るようにとの運動を呼び掛けるビラが右どるめんの入口に置かれていたこと、右どるめんの前に「STOP指紋押捺制度」と書かれた立看板(原告が書いたもの)、「私たちは外国人登録法改正等を要求し指紋押捺拒否者に対する警察の不当ないやがらせを許さない」等と書かれた立看板(原告の友人が書いたもの)が立てられており、原告の自宅前には「指紋押捺制度を撤廃させよう」という見出しの張り紙(原告が書いたもの)が張られていたこと等が認められ、これらを総合すると、原告の本件指紋押捺拒否は原告の積極的な指紋押捺制度反対運動の一環としてなされたものであること、近畿地区外登法改正闘争委員会及びアムネスティ園田グループという団体やその他の支援者らが原告を支援していること、原告は支援者らと指紋押捺制度反対に関する会合を定期的に行い、そのための場所を提供していたこと等(<書証番号略>、証人景行新太郎、同宇治正哲、同奥田典宏、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、本件逮捕の時点において、これらの支援団体及び支援者らが、何らかの形で、証拠隠滅を図ったり、拒否者が捜査機関に対して所在を不明にすることを援助したりするようなことが考えられないとまでは断定できなかったというべきである。

(一三)  以上のような、(八)ないし(一二)に説示した原告の不出頭の状況、態度及び生活環境、支援団体の活動、その他の諸事情を総合考慮すると、(一)ないし(七)の本件外国人登録法違反被疑事件の背景事情、同種事件の一般的な量刑事情等を考慮しても、なお、本件逮捕の時点において、原告が逃亡するおそれは全くなかったということはできず、又、原告の本件指紋押捺拒否に至った経緯、具体的状況、動機、支援団体の活動状況、共犯者の有無など、未だ不明確な事柄について、原告が支援団体等と共謀して罪証隠滅をはかるおそれがなかったとはいえないといわざるを得ない。

3  したがって、被告県の公権力の行使にあたる奥田警部が、裁判官に対し、原告につき、逮捕の必要性があるとして本件逮捕状請求を行った行為には、過失がなかったというべきであり、右令状請求によって発付を得た本件逮捕状に基づく執行(本件逮捕)も適法であったというべきである。

4  又、本件につき、逮捕の必要性を欠く違法な令状請求であることを前提として、右請求に基づいてなされた中原裁判官の本件逮捕状発付行為が違法であるとする原告の被告国に対する主張は、その前提を欠くというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく失当である。

六本件身体検査の違法性

1 原告は、本件逮捕が違法であることを前提として、身柄拘束の根拠となった本件逮捕が違法である以上、本件指紋採取を含む本件身体検査も当然に違法である旨主張するが、前記四、五のとおり、本件逮捕は適法であると認められるから、原告の右主張はその前提を欠くことになり、採用することはできない。

2 また、原告は、本件身体検査は身体検査令状に基づかない違法がある旨主張するが、刑事訴訟法二一八条二項は、身体の拘束を受けている被疑者については、被疑者を裸にしない限り、身体検査令状なしに指紋採取等の身体検査をすることができることを認めているから、原告の右主張は採用できない。なお、原告は、本件において、原告が抵抗の意思を示したことにより本件器具を使用する必要が生じた段階で身体検査令状を請求する必要性があった旨主張するが、右指紋採取につき直接強制が許されることは後記のとおりであって、その目的実現のために合理的な有形力の行使は許されるものと解すべきところ、前記三2(八)認定の本件器具の性状、その用法に照らすと、原告から指紋を採取するために本件器具を用いて原告の腕及び掌等を固定するといった程度の実力を用いることも許されないわけではないと解するのが相当であるから、原告の右主張もその前提を欠き、採用することはできない。

3  次に原告は、刑事訴訟法二一八条二項が指紋採取を認める法意は逮捕の基礎となった被疑事実の捜査の必要性にあるところ、本件被疑事実の捜査のために原告の指紋を採取することは全く不必要であるから、本件指紋採取は違法である旨主張するので、その点について検討する。

(一)  刑事訴訟法二一八条二項にいう「身体の拘束を受けている被疑者」とは、「当該被疑事件によって逮捕等されている被疑者」を指すものと解されるところ、これに同条一項を合わせると、同条二項により被疑者の指紋等を採取することができるのは、当該被疑事件について強制捜査としての犯罪の捜査をする必要がある場合に限られるものと解するのが相当である。当該被疑事実それ自体を証明する証拠として指紋を採取することができるのはいうまでもないところであるが、これ以外にも、被疑者を特定するためや公訴提起の要否を判断するため(同法二四八条)に被疑者の身元を確認したり、累犯加重の要件や常習性を認定し、あるいは量刑資料とするために被疑者の犯罪前歴を明らかにするためにも指紋採取が許されるものと解される。犯罪捜査規範一三一条は、これを受けて「逮捕した被疑者については、引致後すみやかに、指紋を採取し、…指紋照会…しなければならない。」と規定しているが、これは、指紋の採取が、被疑者の身元を確認し、その犯罪前歴を明らかにするうえで最も的確な手段であることによるものと解される。

(二)  請求原因3(二)(2)の事実のうち、北署の警察官が何度も原告本人と面談したこと、押収した原告の外国人登録証明書に原告本人の写真が貼付されていたこと、辰巳署長が北署の警察官等を指揮して写真撮影、指紋採取等の身体検査をしたことはいずれも当事者間に争いがないところ、右争いのない事実並びに証拠(<書証番号略>、証人景行新太郎、同奥田典宏、同宇治正哲、原告本人、弁論の全趣旨)、を総合すると、本件指紋採取の当時、被疑者である原告の国籍、本籍地、住所、氏名、生年月日は既に北署の警察官に明らかになっており、又、北署の警察官は何度も原告と面談しており、押収した原告の外国人登録証明書には本人確認のための写真も貼付されていたのであるから、被疑者である原告の身元については、一応明らかになっていたというべきであること、又、原告の本籍地、氏名、生年月日等を前提とした前科照会により、原告に前科・前歴のないことは本件逮捕時には一応判明していたこと、しかし、それ以外にも、原告が全然別の偽名を使って他の犯罪を犯していたという事実があるか否かについても確認する必要性があり、そのためには原告の指紋が不可欠であったことが認められる。

(三)  右の事実によれば、本件において原告の指紋を採取する捜査上の必要性があったというべきであるから、右必要性がないことを前提とする原告の主張は理由がない。

4  刑事訴訟法二一八条二項に定める無令状での指紋採取には、同法二二二条一項により、同法一三九条が準用される結果、被疑者が指紋採取に応じず、これを拒否した場合において、同法一三七条、一三八条による間接強制では効果がないと認められるときは、その目的を達するため、必要最小限度の有形力をもって、直接強制をすることが許されている。

本件においては、前記認定のとおり、景行警部補が何回か説得したにもかかわらず、原告は指紋採取に頑として応じなかったものであり、前記認定の本件指紋採取に至る経緯をみると、過料又は刑を科するという間接強制の手段によっては、原告が指紋採取に応じる見込みはまったくなかったものといわなければならない。右事実を前提にすると、本件においては、直接強制に先立って間接強制の手続をとる必要性はなかったというべきであるから、この点についての原告の主張は採用できない。

なお、指紋採取については同法一四〇条も準用されるが、そもそも同条は訓示規定と解される上、この場合右条文は、直接強制を行う捜査機関は直接強制を受ける者の異議の理由を知るための適当な努力をしなければならないという趣旨に読み替えられるべきものであり、したがって、直接強制にあたり検察官に意見を聴かなかった違法があるという原告の主張も採用しない。

そして、前記認定のとおり、本件においては、景行警部補らが本件器具を使用して、直接強制の方法により指紋採取をしたことが認められるが、前記認定の原告の抵抗の状況、本件器具の性状、その用法、同警部補らによる有形力行使の態様等の事実に照らすと、右有形力行使の方法、程度は原告から指紋を採取するための必要最少限のものということができ、従って、それが不相当なものであり、違法であるとまでは認められない。よって、この点に関する原告の主張は採用することができない。

七指紋票等の返還請求権

(一)  請求原因6の事実のうち、指紋が個人を識別する最も有効な情報であること、被告県が原告の指紋や掌紋を採取し、それらが印象された指紋票を保管していることは当事者間に争いがない。

(二) 原告は、本件指紋採取が違法であるとして、指紋票等の返還を請求するが、前記六判示のとおり、本件指紋採取は適法であると認められるから、原告の右請求はその前提を欠き、失当というべきである。

八以上の次第で、原告の被告国に対する慰謝料及び指紋原紙の返還の各請求、被告県に対する慰謝料及び指紋票等の返還の各請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないというべきである。

九よって、原告の被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官辰巳和男 裁判官奥田正昭 裁判官樋口隆明は転任のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官辰巳和男)

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